フリーランス国際協力師、原貫太とは何者か。

原さんインタービューアイキャッチ 国際協力

フリーランスとして国際協力に携わる原貫太氏のインタビュー記事。現在、アフリカと日本を往復しながら、どこの組織にも所属せずに個人で活動を行なっている原さん。その働き方の実態と彼を突き動かすものとは。お話を伺っていくと、この時代だからこそできる国際協力の新しいアプローチが見えてきました。

フリーランス国際協力師という肩書き

– よろしくお願いします。本日は、原さんの働き方や原体験を軸に国際協力への関わり方についてお聞きしたいと思っています。まずはじめに、「フリーランス国際協力師」とはなんでしょうか?

実はその肩書きは僕が勝手に作り出した造語です。特定の組織に所属せずに仕事をする「フリーランス」と、十分な収入を得ながら仕事としての国際協力を続ける「国際協力師」を掛け合わせました。

– なるほど。もともと存在する2つの言葉を掛け合わせて考えた造語だったんですね。

そうなんですよ。「国際協力師という言葉が胡散臭い」とか、「国際協力家の方が良い」など多くのご意見をいただくんですが、国際協力師という言葉は僕が造った造語ではありません。国境なき医師団で日本理事を務めていた山本敏晴さんが2005年にNPO法人宇宙船地球号を創設して提唱した新しい概念です。

– なるほど。フリーランス国際協力師という肩書きを名乗っている理由があれば教えてください。

国際協力の分野において、新しい道を開拓したいからです。既存の国際協力のほとんどが組織に所属しながら実践するものである反面、僕は「フリーランス」として働きながら世界を変えることを試みる「新しい国際協力」を追求しています。この時代だからこそできるようになった試みであり、挑戦だと思います。

開拓者・原貫太の働き方

– では、どのような働き方を実践されているんですか?

活動は本当に多岐にわたっていて、一言で説明するのは難しいですね(笑)。僕は日々の活動をツイッターやブログなど、様々な媒体を使ってリアルタイムで発信しているので、詳しくはそれをチェックしていただくのが一番良いと思います。

– 原さんのSNSは更新率もフォロワー数も多いですもんね。従来、寄付者や支援者に対する報告を日本帰国時に報告会を設けて行なっていたところを、タイムラグなく活動報告ができるようになってきたことは国際協力において大きな変化だなと感じています。そのあたりを皆様にチェックしていただく前提で、例えばどんなことをされていますか?

例を挙げると、現地NGOと共同で公衆衛生の啓発活動を行ったり、ウガンダ人とYouTubeを使ってアフリカが抱える問題を発信したり、日本で学生を対象に講演をしたり、ブログやSNSで活動の様子をお伝えしたりしています。

– 確かに幅広いですね。その自由度の高さもフリーランスという働き方だからこそ実現できている側面はありそうですね。逆にフリーランスとなると、全てご自身で活動資金や生活費をやりくりされていると思いますが、どうなんでしょう。

活動報告や自身の想いをブログで発信することで広告収入を得たり、出版した本の売り上げや講演の謝礼など収入もあります。なので、一つの収入源ではなく、様々なツールや活動を通じて収入を得ています。

– 開拓されている新しい国際協力へのアプローチを可能にしているのは、そういった場所を選ばずに個人でできるマネタイズのツールや選択肢が広がったことも大きいですね。

フィリピンでの一人の少女との出会い

– では、なぜそもそも原さんは国際協力に携わる道を選んだのでしょうか。その経緯について、お聞きしていこうと思います。国際協力の道に足を踏み入れたきっかけを教えてください。

大学1年の春休みに、軽い気持ちで6日間だけのスタディーツアーに応募してフィリピンに行きました。当時はすべてが新鮮だったため、確かに充実した時間ではありました。しかし、最終日に空港に向かう車の中からある女の子を見たんです。ボロボロのワンピースを着た7歳くらいの子でした。彼女は裸の赤ん坊を抱えて車の窓をたたいて回って物乞いをしていたんです。その光景が僕の原点です。

– 帰り際に不意に目に飛び込んできた光景ですか。どんな感情だったか覚えていますか?

あの瞬間に感じた気持ちは未だにうまく表現できません。ここにも困っているストリートチルドレンがいる、しかも出会ってきたどの子よりも貧しく見える。その事実に、ただ呆然としたのを覚えています。と同時に、6日間やってきた活動はなんだったのか?もっと他に目を向けるべきことがあったのでは?という強烈な後悔に襲われました。この時に本当に自然に自分の中に芽生えた言葉が”世界の不条理”でした。

– 不条理、ですか。

はい。そして、その”世界の不条理”をただ仕方のないものとして受け入れてしまうのではなく、どんなに微力であったとしても抗いたい。そこに挑戦したいと思ったのが、全ての始まりでした。

駆け抜けた学生時代と突然の病

– 帰国した後、目に焼き付いたその光景は原さんにどのような 変化をもたらしましたか?

それからはどっぷり国際協力に浸かりましたね。学生団体を立ち上げてバングラデシュでストリートチルドレンの生活支援に取り組み、アメリカで1年間マクロな視点から世界が抱える課題を研究し、ウガンダで元子ども兵の社会復帰支援に携わりました。そして就職の道を捨て、大学4年時にアフリカを支援するNGOを起業しました。

– まさに一心不乱といった感じですね。その頃の活動が、原さんのやられている現在のアフリカの活動にも繋がっているんですか?

はい。でも実は、活動を完全にストップしていた時期があります。大学を卒業して間もないころ、「適応障害抑うつ」という心の病気を発症したんです。

在学中からのハードワーク、組織の代表として感じるプレッシャー、そして生活環境の変化に体が耐えきれませんでした。ウガンダに渡航する直前の会議中に突如パニック症状に陥り、泣き叫んでそのまま過呼吸になりました。症状が落ち着いた後は気分がどんよりと落ち込み、そこからはいわゆる「うつ」の状態になってしまったんです。

– 大変だったんですね。想いが先行しすぎて、身体がついていかなかったんでしょう。

一日中布団から出ることすらできず、「人生終わったかもしれない。」と思っていた時もあります。心療内科に通いながら半年間お休みし、最終的には昨年末、立ち上げた団体を自らの意志で離れることにしました。

今思い返しても、自分で立ち上げた団体を辞める決断をするのには、とても大きなエネルギーを使いましたね。病気の症状もかなり落ち着いていた時期だったんですが、辞める旨を団体のスタッフに伝えた後、またしばらく寝込みました(笑)でも、「組織に戻って働いている自分」を想像することは、その頃には難しくなっていました。

フリーランス国際協力師の誕生

– その過去がフリーランスとして単独で国際協力に携わる今のスタイルに繋がったんですね。狙ってできたというより、たくさんの経験と苦難を経て必然的に生まれた働き方だったと。

そうですね。そして僕は、個人で活動を再開し「フリーランス国際協力師」という肩書を名乗るようになりました。

– 先の質問で少し触れましたが裁量がある反面、資金面や責任など様々なところで大変なことがあるかと思います。

こういった働き方はまだ誰もやったことがない、新しい国際協力の形だと思います。少なくとも僕は先例を知りません。自ら道を切り拓いていく働き方だからこそ、大変なこともたくさんあります。

それに、「君のやっている活動はプロフェッショナルじゃない。」と、特に年上の方から批判されることもあります。正直、国際機関や政府機関、大型のNGOなど、大きな組織力と資金力で国際協力に携わっている方々からすれば、僕のやっている活動は理解しがたいものかもしれません。

– 国際協力にもいろんなタイプの人や、人と違ったアプローチをする人がいてもいいですよね。硬くなりすぎたら革新や新しい人材は出てこないのは、どの分野も同じだと思います。最後に何か、一言お願いします。

フリーランス国際協力師として働いていると、日本でもウガンダでも、様々な課題に直面します。それに、適応障害も完全に治ったとは言い難く、今でも時々「うつ」の症状が出てしまうこともあります。

ただ、新しい道を切り拓いていくことにワクワク感も感じています。「フリーランス×国際協力」という働き方を社会に提示していくことで、これから国際協力を志す若い人の背中を押せれば嬉しいです。

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原貫太(はらかんた)
1994年生まれ。
フリーランス国際協力師。早稲田大学卒。フィリピンで物乞いをする少女と出会ったことをきっかけに、学生時代から国際協力活動をはじめる。これまでウガンダの元子ども兵や南スーダンの難民を支援してきた。大学在学中にNPO法人コンフロントワールドを設立し、新卒で国際協力を仕事にする。出版や講演、ブログを通じた啓発活動にも取り組み、2018年3月小野梓記念賞を受賞した。

大学卒業後に適応障害を発症し、同法人の活動から離れる。半年間の闘病生活を経てフリーランスとして活動を再開。現在はウガンダのローカルNGOと協働し、最貧困地域での公衆衛生改善プロジェクトを実施中。他にも講演やブログ、YouTube、オンラインサロンの運営にも携わるなど、「フリーランス×国際協力」という新しい働き方を追求している。
著書『世界を無視しない大人になるために』

原貫太さんのブログはこちら
https://www.kantahara.com/

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