「誰かの人生の起点になりたい」磯部さんが新卒NGO就職した理由

パレット磯部さん インタビュー インタビュー

フィリピンの貧困家庭の若者を対象に英語教師になるためのトレーニングを提供している、語学学校パレットスクールでマーケティングを担当している磯部さんのインタビュー。

新卒でフィリピンに渡り、国際協力をする道を選んだ磯部さん。
彼がその決断に至るまでの原体験や、実際に活動してみえてきたことについて語ってくれました。

一冊の本との出会いが国際協力を引き寄せた

和弥さんインタビュー>写真4


– 
よろしくお願いします。新卒で国際協力に携わるまでの経緯を教えてください。

最初のきっかけは、高校生の頃に読んだ『世界がもし100人の村だったら』という本です。その本を読んで、大学では貧困問題について学ぼうと考えました。
しかし、実際には大学の講義には身が入らず、実践で経験を積みながら学ぶ方が自分の性格に合っている気がして、在学中にカナダのバンクーバーに渡り、ホームレスの方たちの求職支援の活動に関わりました。

– 一冊の本や文章や人との出会いが人生を大きく左右する。記事を書くものとして身の引き締まる思いです。なぜ、カナダだったんですか。

実はカナダは国際協力のために訪れたのではなく、バックパッカーとして入国しました。
長く滞在した結果、観光に飽きて何かやろうと思案していたところ、ホームレスの方が現地にあったサルベーションアカデミーていうキリスト系のNGOの存在を教えてくれて、飛び込みで参加しました。

– 旅をしてい中で、長いあいだ自分の心の中にあったものに引き寄せられたんでしょうか。

そうだと思います。それが19歳のときです。その次に参加したのがタイのチェンライで、少数民族の支援をしているNGOでした。
主にコーヒー豆や米、民芸品を販売するためのマーケティングをしたり、自主的に現地の人にむけた日本語の授業を開いたりしました。その日本語の授業が、この分野に関わる上でその後ずっと大事にしている気持ちと出会うきっかけをくれたんです。

今日でも変わらない軸をもった日

– 能動的ですね。団体や活動に所属して満足するのではなく、自分のできることやアイディアを自らの意思で形にしていく能力はどのフィールドにおいても大事な能力だと感じます。その授業での出会いについて詳しく教えて下さい。

クワンカーオという名前の高校生の女の子が、いつも最前列で一生懸命日本語の勉強をしていたんです。
そして私が帰国することになったときに、「やりたいことがなかったけど、初めて熱中できるものが見つかりました。将来は日本語の通訳になって、日本に行きます。」という内容の手紙をくれました。

ぼろ泣きですよ。めちゃくちゃ嬉しかった。

– 自分のアクションが誰かの心に届くというのは素晴らしい体験ですね。

しかもその話には続きがあって、その子は本当に日本語系の大学に進学したんです。自分が誰かの人生の起点になれたことに、大きなやりがいを感じました。
それからはずっと誰かの人生の起点になれるような仕事をしたいという気持ちを軸に動いています。

– その気持ちがパレットスクルールでの、現在の活動に繋がっていくんですね。

休学して何しようかなとネットサーフィンをしていたときに、パレットの代表の記事をたまたま読んだんです。
パレットが対象としてる人たちはリソースがない人たちです。お金やコネ、情報がないが故に自分の進みたいキャリアを歩めない人。
パレットがそういう人たちにキャリア支援をやっていることを記事で知り、興味が湧いてメールでのやり取りを経て、インターンを始めました。

就職活動をせずに参加したパレットスクール

– 普通は就活がある時期ですよね。

大学三年生なので、周りは真っ只中ですね。

– 不安や焦りはなかったですか?

大学に入ったときに海外に一年間は絶対に行くぞって決めていたので、不安はなかったです。
日本の中だけで生きてたら分からない価値観とか生き方とかってあるじゃないですか。それを知るために短期ではなく長期で海外に住んで、価値観を広げた上でやりたいことを見つけていこうと思っていたので。

– それでも友達や親の反応はありますよね。

もともと変わったやつっていうのはみんなから思われてたらしいから、父も母も友達とかも「ああ、行くんや」みたいな感じでしたね(笑)。

自分の軸が確信に変わった日

和也さんインタビュー>写真2


– 
パレットスクールで印象深い仕事はありますか?

プロジェクトマネージャーを任されて、キャリアに関するお祭りを企画した仕事です。
コンテンツが主にふたつあり、ひとつは職業体験ブースをフィリピンで需要の高い産業に13種類くらい絞って、貧困層や学校をドロップアウトした人に職業体験をしてもらうというもの。
もうひとつが、スピーチコンテストで自分の夢について語ること。25人を集めて予選をやり、当日にファイナリスト5人で決勝のスピーチをしました。
300人くらいのお客さんがいて、そこで自分の夢を思い切りぶつけて、お客さんの反応が一番良かった人が優勝する形です。

– なるほど。

そこで予選最下位だったクリストファーっていう男の子がいて、もともとやる気ない感じの子だったんです。
しかし、なぜか予選を通過して本番のスピーチを作るときに、自分が面談をしたりコーチングをしたりする中で、どんどんどんどんモチベーションが上がってきて逆転優勝してしまいました。

– 熱い展開ですね。

優勝者には賞金をプレゼントするっていう企画だったので、大学に行くためのお金をクラウドファンディングで集めて渡しました。
彼はその後、地元の大学の経営学科に進んで、今はマニラの不動産会社の営業として働いています。

– 一人の意識が変わり、それが生きる力になるまで見届けるというのはすごいことですね。

その経験を通して、誰かの人生の起点になりたいという思いがさらに強くなりました。こんなに面白いことはない!みたいな。
そのときにこれをライフワークにしようと思ったので、現在も継続してパレットで働かせてもらっています。

– あの女の子との出会いから軸がずっとそこなんですね。

その軸はずっと変わらないですね。

実際に活動して心境の変化

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では逆に、変わったことはありますか?学んだことや、当初の仮説とズレがあったこととか。

国際協力からの観点というよりは、生き方で影響を受けました。
足るを知る。今あるもので幸せを感じれるって大事ことだなってフィリピンにきて強く感じましたね。

– フィリピン人の生き方からですか。

日本にいたときはとにかく自分がおもろいと思うことを次々に求めてくみたいなスタイルで、ひたすら何かをやっていました。
でも、フィリピンの人たちに何が幸せ?って聞くと、家族と過ごしてるときが一番幸せってみんな口を揃えていうんです。そういうシンプルな生活もめっちゃいいなって思いましたね。

「我、ただ足るを知る」ですね。私も大好きな言葉です。

日本にいたら成長しろ成長しろっていう圧力や、とにかく楽しいことやれっていう雰囲気があるけど、こっちはそういうのが少ない。
フィリピンの文化に影響されて、必要以上に持たずに生きていくスタイルになったことは、1番自分の中で影響があったところかなって思います。

今、見えている未来


– 
これからのビジョンを教えてください。ご自身でもパレットスクールとしてでもどちらでも構いません。

旅しながら仕事ができる状態にして、かつ、人のやくに立つ仕事をしたいです。
それが何か考えたときに、今はオンラインコンテンツでのライフコーチングに興味があります。

– また面白い発想ですね。

特に社会人3年目あたりの人たちに届けたいなと思っています。
学校としては、パレットという名前の由来でもある各々が自分色のキャリアを描く、その土台になるという想いにもう一度戻って考えて、いろいろな取り組みをしていきたいなと考えています。

– 最後に抽象的でもいいので、ご自身の人生でなにか想い描いている未来がありますか。

自分は幼少期に家庭があまりうまくいってなくて、何かあっても家帰ったときに相談する相手がいなかった経験が深く心に残っている。
だから、肩書きや取り組んでいることではなくて、ひとの存在自体を認め合って、いいところも悪いところもそのまま受け入れられるような、そんな居場所みたいなものを作りたいなと漠然と思っています。それは会社かもしれないし、家族かもしれない。
それが自分の一番の人生のビジョンかなと思ってます。ライフパーパスっていうやつですね。


磯部さんが働く、NPO法人PALETTEの詳細ページ

パレットスクールの動画はこちらから

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